2007年10月20日

Jet Li 李連杰 Biograhpy

jetli_001s.jpg

1963年4月26日、河北省生まれ
血液型:AB
身長:169cm/5'6 1/2"(IMDbデータ)
   170cm/5'7"(Official)
   (…165cmくらいじゃないかと思うんだけど…)

出生地についてはメディアによって、北京、遼寧省・瀋陽市、等とされています。ここにはOfficialWebSiteに記述の「河北省」を記しておきます。

また、武術を始めた年齢も、各メディアで、6歳、7歳、8歳、とばらばらなんですが…中には4歳の頃に既に武術を身に付けていて年上の子供達をも感服させた、なんて記述も。
小学校入学後、武術班に参加。この班というのはクラブ活動のようなものだと思われます。これがおそらく、6歳〜7歳の頃。
連杰がこの武術班へ入れられた経緯として、身体の大きな年上のいじめっ子達との喧嘩で大立ち回りの末、皆をやっつけてしまった為、この子は武術の才がある、と、武術班に入れられた、という逸話があるのですが…本人はOfficialで「喧嘩はした事が無い」と言ってます(笑)
8歳で北京体育学校、北京余暇体育学校へと進学。ここで本格的な武術を習い始めた、と言う事でしょうか。Officialでは、8歳から武術を始めた、との記述があります。
1971年、僅か9歳で北京武術隊に入隊。武術団のコーチである師・呉彬に認められ、その才能を開花させた連杰は、3年後の1974年、第1回全国武術大会に参加、総合優勝。1978年までの5年間、タイトルを保持し続けます。その美しさ、正確さ、スピード、跳躍力は他の追随を許さず、「中国武術の至宝」と称されました。
1979年、膝の怪我により、プロ競技から引退。
既に1974年、武術隊の香港公演の折に11歳の連杰を見染めた香港映画製作陣は、師・呉彬の「幼過ぎて無理」という言葉に「待ちます」と応えていた、と言う逸話があり、1980年に撮影開始された映画『少林寺』で、連杰は映画初出演にして主役に抜擢されます。
『少林寺』の大ヒットで世界中にその名を知らしめ、少林拳ブームを巻き起こした連杰は、立て続けに『少林寺2』『阿羅漢』に主演して、その驚異的な功夫と人懐っこい表情で人気を博し、その後も多数の武侠映画、アクション映画に主演。ツイ・ハーク監督作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズで伝説の武術者、黄飛鴻を演じ、これが当たり役となり、その人気は不動のものに。
但し、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ2作目の撮影の折に製作側と摩擦が生じ、一旦は決裂して中国へ引き上げてしまった、という事もあったそうです。
この時期の連杰は立て続けに精神的に打撃を受ける事に遭遇してますね…前妻黄秋燕(ホァン・チューイェン)との離婚、ツイ・ハーク監督及び香港製作陣との対立、度重なる怪我、身体の不調、そして香港での彼の代理人の射殺事件…『ワンス〜』シリーズの師父の凛々しい姿からは想像出来ないくらい心身ともにボロボロ状態だったようです。
2作目のドニー・イェンとの対決シーンは今でも語り継がれる功夫アクションの傑作、ですので、そのまま決別せずに作成されてよかった…
1994年『リーサルウェポン4』でハリウッドに進出。しかしこの時連杰の演じたキャラクターは悪役だったため、中国国内ではブーイングが上がった、とか。連杰=正義の人、っていう公式ができちゃってたんでしょうねえ。そういえばこの後2007年の『ローグ・アサシン』まで、悪役は演ってませんねぇ。あ、『ザ・ワン』では片っぽ悪役だったか。
『リーサル〜』以後、ハリウッドで数本のアクション映画に出演するも、連杰の“武術”への思いと、ハリウッド側の“カンフーアクションスター”への要求、の間の乖離が際立ってきたのか、『英雄 HERO』『SPIRIT』の2本の中国映画の後、「今後武術映画には出演しない」宣言を!…いや、思い直そうよ師父…orz…こんな時代だからこそ、師父の言う「人を救う術」としての「武術」が必要になってくるんじゃないかなぁ…
まあしかし、「歴史古装物」「アクション」「ファンタジー」には出演してくれるようなので、ひとまず胸を撫で下ろすことにいたしましょう。
今後公開予定の出演作品は、2007年下旬公開予定『投名状/The Warlords』アンディ・ラウ、金城武共演!、2008年公開予定『功夫之王/The Forbidden Kingdom』ジャッキー・チェン共演!!!、『ハムナプトラ3/The Mummy: Tomb of the Dragon Emperor』無名が皇帝になったんか!と思う様な楚々とした美人さんの皇帝を演じておられますよ…師父…

さて、話が前後しますが、連杰は兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子。
連杰の誕生には次の様な逸話が。
彼を身籠った母親は、経済的な理由から出産を断念し、その日、産婦人科医へ行く予定でした。そこへ尋ねて来た祖母が「この子は天才になるかもしれない。産みなさい」と母を諭し、母は医者へ行くのを止めて彼を産む事に。もしお祖母さんが来るのが1日遅ければ、否、1時間遅ければ、連杰はこの世に生を受ける事は無く…私らもこんな思いをする事は無かったのか…お祖母さん、有り難いんだか有り難迷惑なんだか…いや、有り難いです!有り難いです!貴女が居なければ「中国武術の至宝」は誕生してなかったんですから!
連杰2歳の時、父親は脳梗塞で死去、以後母親は女手一つで5人の子供を育てる事になり、家計は益々困窮、連杰もおもちゃ等は持てなかったそうです。で、お外で遊んでいるうちに、あのバランス感覚としなやかな筋肉が養われた、と。
上にも書いたいじめっ子との喧嘩は、父親が居ない事と家の貧しさをからかわれたのが原因、とされていますが、本人が「喧嘩はした事が無い」と言い張っているので、これは作り話なんだということにしておきましょう(笑)
武術に関しては特に母が勧めたと言う事は無く、むしろ「そんなことやっててもお腹がふくれる訳じゃ無し…」と苦笑しながらも連杰の好きな道に進ませ、また「辛かったらいつでも帰っておいで」と気遣っていたのだそうです。そんな優しいく逞しい御母堂も、2002年、他界。合掌―

連杰自身の家族は、現在、妻のニナ・リーと彼女との間に産まれた2人の娘。そして前妻、黄秋燕(ホァン・チューイェン)との間にこれも娘2人。
黄秋燕(ホァン・チューイェン)とは『少林寺2』『阿羅漢』での共演の後結婚。元々武術団でのチームメイト、というかこの歳ならあれだ、幼なじみ、って言える関係でしょうか。1990年に離婚。離婚は連杰の方から言い出したそうです。1999年、『ドラゴンファイト』(1988年)で共演したニナ・リーと結婚。かなりの愛妻家だそうですよ、連杰(笑)


Style of Wushu:連杰の武術に関しての詳細
posted by radwynn at 14:26| Biography | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。